Recursos de colección
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers
(65.390 recursos)
HUSCAP (Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers) contains peer-reviewed journal articles, proceedings, educational resources and any kind of scholarly works of Hokkaido University.
Mostrando recursos 1 - 20 de 20
1.
中国における外事警察制度の形成
- 川島, 真
「東亞視域中的國籍、移民與認同」研討會: 主辦單位:臺灣大學東亞文明研究中心(代表者甘懷真教授) / 日本学術振興会「不平等條約體制下的東亞外國人法律地位之實例研究」計畫(代表者貴志俊彥教授),日期:2005年3月20日,地點:臺灣大學 東亞文明研究中心演講廳
2.
再論華盛頓會議體制
- 川島, 真
「北洋政府的中国外交学術討論会」(2004.08.27-28,於 復旦大学)における報告原稿
3.
伪满洲国的广播政策
- 川岛, 真
近代中国東北部文化国際研討会(2004.9.13-15,長春)における報告原稿
4.
『普通の国』と『大国』の間 : 近代中国外交から見る
- 川島, 真
中国現代史研究会シンポジウム(大阪,2004年12月11日)『「東アジア」における地域秩序と現代中国 -帝国論の視点から-』における報告原稿。
5.
中国・台湾における档案史料の状況 : 公開状況・文書行政・史料的意義
- 川島, 真
本報告では、中国・台湾での档案史料(図書資料などにも言及する)の状況について、その所蔵・公開状況、档案行政について、利用者の目線で紹介した上で、またそれらの意義付け、アクセスにまつわるさまざまな課題についても触れていきたい。 周知のとおり、中国・台湾の档案の状況については、数多くの史料紹介文が公刊されている(坂野正高、金丸裕一、貴志俊彦、富澤芳亜、中村元哉、川島真。媒体としては『近きに在りて』、『中国研究月報』など)。特に中国東北部については、層の厚い史料紹介がなされてきた(中見立夫、井村哲郎ら。媒体としては『近現代東北アジア地域史研究会NEWS LETTER』など)。また、図書資料についても多くの紹介文が記され、日本語史料、あるいは日本関連史料については、九州大学の松原孝俊、国際日本文化センター(笠谷和比古、ブックロード)、また東京大学史料編纂所(保谷徹、東アジアの日本関連史料調査)などにより調査が進められてきた。 また、こうした档案や図書を、日本と中国、日本と台湾などで協力して整理、目録化、デジタル化するような事例も多く見られるようになっている。台湾では、中京大学の檜山幸夫のグループが国史館台湾文献館の台湾総督府文書の目録化、また整理(所在確定、復元作業)に携わり、国立台湾大学図書館では国文学研究資料館史料館との協力関係が見られる。中国でも、吉林省档案館とNHKの間のラジオ放送録音盤のデジタル化、第一歴史档案館と東京大学史料編纂所の間の档案のデジタル化計画などが挙げられる。 こうした変容過程の中で、多くの档案や档案館、図書や図書館に関する情報が数多く日本に流入し、人的交流も活発になっている。また、中国、台湾などでの政治改革、経済発展、ひいては社会変容の中で、当地の档案などが置かれている状況も急速に変化してきている。こうした中で、新しい問題、課題などもうまれてきているように感じる。ここでは、そうした論点もふまえながら議論を進めていきたい。
6.
China's World Strategy and Modern Diplomacy: A Reassessment of Modern and Contemporary Chinese Diplomacy
- Kawashima, Shin
This paper would discuss about the Chinese diplomatic policy toward a civilized country, even a great power in the world in 1900-1920's. Until 1990's, except for some western and Japanese scholars, most of scholars have recognized that Chinese diplomacy from 1900s to 1920's doesn't have any remarkable and significant achievements and is called 'weak country should not have any efficient diplomacy.' But through the survey for so much amount of the Chinese diplomatic archives to be opened in Taipei, Nanjing and Beijing, we come to be able to understand the Chinese basic diplomatic policy from last ten years of Qing...
7.
中国における「国際的地位の向上」 : 中国外交に通底する課題
- 川島, 真
昨今、中国外交史研究において、従来から言われてきていた「侵略と抵抗」「弱国無外交」といった側面から事象を説明することは稀である。現在中国が急速に国際社会にコミットメントを深め、同時に研究の面でも外交文書が中国でも台湾でも公開される中で、新たな中国外交への視線が形成されつつある。 こうした外交史研究は、歴史的に見た近代以来の中国外交の特徴を導き出しつつある。それは以下のとおりである。第一に、侵略された国権を取り戻し、これ以上主権を侵害されたり、利権を奪われたりしないようにすること。第二に、外交を制度面、政策面で「近代外交化」していくこと(制度面などでの国際標準の受容、第一と重なるが不平等条約改正など)。第三に、文明国として国際標準を受け入れ、役割を果たす中で国際社会の中で一定の地位を占め、その国際的な地位を向上させ、ひいては大国として認知されるようにしていくこと。そして、第四に周辺諸国との協調を図り、自らの安定的な成長のための環境を整えようとすること。 このうち、昨今特に重視されるのが第三と第四の点であろうが、中国外交史から見た場合、これらは必ずしも昨今の傾向というわけではなく、ある意味で19世紀以来一貫した方針だと考えることもできる。特に第三の「国際的地位の向上」については、清末以来、中国の外交担当者たちが腐心してきた問題であった。そこで本稿では、その経緯を紹介し、そこにおける問題性、議論のありかなどについて検討していくことにしたい。
8.
戰爭與廣播 : 東亞的電波戰爭
- 川島, 真
1945年8月15日,日本『帝國』對國內宣布『終戰』的是天皇的嗓音以廣播向全國放送(玉音放送)。而在同日,蔣介石也用廣播向中國人民宣布戰爭勝利。日中同時藉由『廣播』宣布戰爭結束,這究竟象徵了什麼意義?現於台灣嘉義縣民雄成立有國家廣播文物院,除了收藏日本統治時代以來的廣播用機器,還有中華民國從重慶運來的英製廣播機器以及美援所贈與之機器。中華民國為什麼要特地從重慶運來廣播機器?又美國為什麼要致贈台灣機器呢? 1920-60年代,說是『廣播的時代』也不為過。1920年代出現的廣播具有聲音所帶來的臨場感、電波所帶來的即時性,給予東亞猶如媒體革命一般的衝擊。進而,在重視科學、速度的1930年代,廣播真的成為了時代的利器。戰後,在電視的時代來臨之前,人們對於雖然看不到但可以傳送到遠方,同時可以與他人有共同話題的『聲音』,其實是一則以喜一則以憂。透過廣播收音機傳送,所謂聽覺上的媒體--『廣播』,形成了音樂、新聞、報時、廣播體操等新型態的娛樂,也造就了李香蘭等廣播明星、受歡迎的播報員以及流行節目的出現。廣播式的媒體型態,對於雜誌、新聞等文字媒體也會造成影響,不論是語法或是說明方式都會出現新的體裁並形成標準。另一方面,雖僅為聽覺上的媒體,收音機所獲得的『聽眾』卻已超越知識份子代表的文字媒體。這顯示了一種大眾性質,使收音機橫跨男女老幼成為跨界的媒體。 具備這些特徵的廣播,理所當然地會受到當政者的注目。日本自昭和11年的的林內閣以降,總理大臣都會透過廣播來發表傳達自身信念的演說。阿道夫希特勒是最早將廣播用作大眾動員工具的人。戈培爾宣傳部長的想法對於日本的『思想戰』也有很大的影響。在此,我們可以發現思想宣傳與廣播有非常密切的關係,透過語言與資訊加以價值的創造、傳播這些機能,得以將人分群,達到集團化的效果。然而,在廣播理應普及化成為工具的同時,也成了被嚴格管理的對象。 另一方面,即使廣播對國外、帝國外發送,也沒有違反國際法的問題;較之於撤除敵境內的宣傳海報、或是文字媒體的宣傳活動都要來的有效。此時的問題在於收音機的普及狀況以及對方的干擾妨害行動,出現了可稱之為『電波戰爭』的狀況。各國競相以強力的短波發送來主張自身的正當性,同時也監聽並研究他國發送的電波。因此,在戰爭中有時用戰俘來進行招降的廣播,有時也因為轟炸機的空爆而需要利用到廣播的信號塔等,可以說在軍事上的利用也所在多有。 然而,不論是『心理戰』或是『電波戰』,廣播雖然透過收音機作為媒介,但開關不開也是不行的,因此要讓聽眾感覺到『收聽』的必要性。在這個意義之下,必須要配合聽眾而使用方言、也要花工夫來維持其娛樂性。另外,最重要也最根本的問題是的是一定要有電力及電波。 這些一般性條件在滿州國多是很符合的。特別在廣大的空間及民族、文化的多樣性之下,滿州國存在急速完成國家統一的必要性,因此對廣播加以重視。進而,戰爭的局面之下,廣播不單單只是形成規範、意識,也是統合及動員的最佳工具。此外,不僅是滿洲,從帝國全體來看,為了確保日本本土及帝國全體的一體性,超越空間而發射出『人聲的砲彈』,對於可以提供『新聞』這種無變化資訊的廣播也更加重視,進而在對外宣傳上也廣加利用。從中國大陸開始,滿洲的廣播在世界的電波戰爭有其意義存在。在這樣的意義下,滿洲國的廣播事業開始發展,同時也忠實反映出滿洲國的性格。固然如此,在滿洲國的廣播自身所應有的樣貌下,很容易看到其極限所在。因此,可以發現廣播與親日國家之間的關係,從華北政權、汪精衛政權甚至台灣等殖民地社會與廣播的關係也可以發現。進而,若考慮到廣播的網絡性,透過東亞廣播協會等團體的連結,廣播可以說是一個以日本為中心將帝國連結起來,同時反映出『帝國』面貌的東西。 本文以滿洲國為中心,觀察『帝國的廣播』之狀況,並檢討當時在政治、社會上廣播所扮演的角色。在這樣的前提下,對於滿洲國以外的地區,希望藉由觀察中華民國方面的狀態,也能對『電波戰爭』有所著墨。
9.
戰後日本的"脫帝國化"與台灣研究
- 川島, 真
10.
日本人眼中的蔣介石:以戰後日本外交文書為例的探討
- 川島, 真
若從戰後中日關係的角度來思考,日本觀察台灣應有二個不同的面向。一個是以宗主國的身份來觀察台灣。另一個是觀察蔣介石,也就是中華民國。前者是台灣在去殖民化的同時,日本卻要如何擺脫宗主國角色的問題。後者卻是身為戰敗國的日本,如何面對戰勝國中華民國以及經歷「戰前」、「戰後」兩個不同空間所衍生的種種問題。迄今為止的研究成果,大多是仰仗英美兩國的外交文書,雖然充分反映出國際政治史的觀點,但卻疏於探討以東亞社會為主體的外交思維。再者,以蔣介石與日本為題的傳統研究中,也以戰前居多。為了打破此一現象,本論文特別參照日前公開的日本外務省所珍藏之戰後日華關係檔案,冀望在參閱此一批檔案的基礎上,勾勒出蔣介石、中華民國、台灣在戰後日本人心目中的形象。(戦後の日華関係を考える上で、日本が台湾を見る視線には二つの面があったと言って良いだろう。ひとつは、かつての宗主国として「台湾」を見る目線。今ひとつは、蒋介石、そして中華民国を見る視線であろう。前者は台湾の脱植民地化とともに、日本がいかに脱宗主国化するかという問題でもあり、後者は本来ならば敗戦国であるはずの日本が戦勝国であるはずの中華民国をいかに捉えるのかという、「戦争」「戦後」それじたいに関わる問題でもあったろう。他方、昨今の研究では、英米の外交文書に依拠した研究が数多く見られるが、そこでは国際政治史的な観点が強く反映し、こうした東アジアの内的な外交思想には踏み込めていない。また従来の蒋介石と日本に関する研究が戦前にかたよっていた。こうした点を克服すべく、本報告は昨今公開された戦後の日華関係に関する日本外務省記録に依拠して、そこに見られる蒋介石像・中華民国像をおい、あわせて台湾像について初歩的な検討を加えてみたい。)
11.
1971年以前日本的二中議政
- 川島, 真
戰後初期的東亞國際政治,在現今的日本國際政治史學界可以說是一個『紅門』。這也許是因為在歐美外交文書公開的同時,戰後的日本外交文書也被公開的緣故。另外,冷戰結構漸趨和緩,迎向全球化時代的東亞,在摸索新的國際秩序的當下,也該對歷史重新再做一番回顧。在這個領域,從前有部分研究是以石井明、別枝行夫等人為首,但近來許多年輕學者也陸續有著作發表。其中頗具代表性的有:陳肇斌《戰後日本の中國政策》(東京大學出版會,2000年);袁克勤《アメリカと日華講和-米‧日‧台關係の構圖》(柏書房,2001年)等。最近則有池田直隆《日米關係と「二つの中國」-池田‧佐藤‧田中內閣期》(木鐸社,2004年)等備受注目的著作出版。其他,即便將範圍設定在『兩個中國』之下,仍有田麗萍<池田內閣の中國政策-封じ込め戰略と對中積極論の狹間で>(一‧二)(《法學論叢》京都大學,137卷2號‧139卷1號,1995年‧ 1996年。)及<佐藤內閣と中國問題-狀況對應型外交、その意義と限界>(一‧二)(《法學論叢》京都大學,141卷5號‧143卷3號,1997年‧1998年);佐藤晉<佐藤政權期のアジア政策>(波多野澄雄編《池田‧佐藤政權期の日本外交》(ミネルヴァ書房,2004年)。進而,還有神田豐隆<佐藤內閣と「二つの中國」-對中‧對台灣政策にあけるバランスの摸索>(《國際關係論研究》21號,2004年)。若限縮在日台關係上,石井明及清水麗的研究都表現得非常好。石井明<1960年代前半の日台關係-周鴻慶事件から反共參謀部設立構想の推進へ>(《國際法外交雜誌》101卷2號,2002年8月)。清水麗<1970年代の台灣の外交政策に關する一考察-外交と內政と中台關係の相互作用>(《東アジア地域研究》6號,1999年)及<蔣經國時代初期の對日政策:日台斷交を一事例として>(《筑波大學地域研究》,1999年)。在台灣,有許多相當於史料的著作:馬樹禮《使日十二年》(聯經出版社,1997年)、黃自進記錄的《林金莖先生訪問記錄》(訪問記錄,中央研究院近代史研究所,2003年);而從嶄新觀點出發的研究也多有所發展:廖鴻綺<貿易與政治:台日間的貿易外交(1950~1961)-以台灣所藏外交部檔案為中心之探討>(國立台灣師範大學歷史研究所碩士論文,2000年6月);另外在日華、台的研究方面,日華條約、「以德報怨」、周鴻慶事件、日台斷交等等的事例研究也一直都有所進展。從上述諸先行研究的成果來看,撇開安全保障方面不談,特別是在通商的部分,可以發現日本的外交未必完全追隨美國的腳步,有時也與英國有所合作。不論在大英帝國「黃昏」之後的東南亞市場(特別是印尼)之擴張發展,以及中國市場開始改革開放,亞洲市場的確保及亞洲經濟發展已經成為自身經濟發展的基礎,而不得不全力發展。這一點也是日本的戰後處理政策及對共產主義政策,兩者所共通的方向性1。如此一來,「二個中國政策」是戰後日本外交的基本方針。雖然把中華民國政府視為代表中國的正統政府而給予承認,卻也將中國大陸當作通商對象而努力發展。不論是吉田茂首相時代上海貿易事務所的開設,或是之後的LT貿易等,政策都十分有一貫性。吉田茂並非掌握了中國社會主義的本質,而是確信中國必定會走入資本主義。他認為若引發中蘇對立對於中國在國際上的立場必然有所影響。另外,外務省當時也認為在不久的將來台灣的中華民國將會台灣化,變成由台灣人主導。有了這樣的認定,將中國、台灣兩者都視為市場,在此範圍之內進行交流。這樣的意義下,「二個中國」所提示的方向性,不僅僅是戰後初期的既定方針,另一方面,也是與中華人民共和國「國交正常化」/與中華民國斷交之際的基本方針。可以理解為,1972年斷交之際,維持台灣繼續作為一個市場的存在也是基本方針。時至今日,從東亞到東南亞的這塊區域,基本上是對全世界開放的市場,到目前為止並沒有發生過嚴重的紛爭。從這一點來看,二十世紀後半的五十年,可以說正是日本所盼望看到的結局。發表如此的研究成果,而提出新的觀點時,「二個中國」研究的前線應是「二個中國」政策的演進過程,以及理念與實際的問題,再加以來自中國、台灣方面的不同觀點。關於政策的演進過程,佐藤內閣是否為親台派,或是否因為顧慮中國大陸才做成「二個中國」政策,諸如此類的爭點也都有所討論。然而,將焦點放在「二個中國」並去追究他的原委是絕對不會有結論出現的。因此,本文主要將重點放在1960年代,整理日本的「二個中國」論述,並試著加以探討。
12.
中国・台湾における档案史料の状況 : 公開状況・文書行政・史料的意義
- 川島, 真
13.
戰時體制與日本語・日本研究
- 川島, 真
14.
China’s World Strategy and Modern Diplomacy: A Reassessment of Modern and Contemporary Chinese Diplomacy (Abstract)
- Kawashima, Shin
20TH INTERNATIONAL CONGRESS OF HISTORICAL SCIENCES (SYDNEY, 3 July - 9 July, 2005),
SPECIALISED THEMES (26 half-day sessions), 3. China and the World in Modern and Contemporary Period
15.
戦争をめぐる記念日の「歴史認識」東アジアの敗戦・終戦記念日
- 川島, 真
16.
歴史物語の中の中国近代外交と日本
- 川島, 真
『RATIO』掲載タイトルは「歴史物語の中の近代中国論-日本はなぜ中国の主要敵か-」である
17.
中国におけるアメリカ外交について : 歴史的な視点
- 川島, 真
アステイオンに掲載されているタイトル:『共通敵』のない時代
18.
歴史の中の日中関係 : 通奏低音と表層旋律
- 川島, 真
外交フォーラム掲載のタイトル:歴史の中の日中関係-近代史の中の相互認識と歴史問題-
19.
「抗日勝利日」 : 歴史記念日の揺らぎ
- 川島, 真
20.
日中「歴史」関係の通奏低音
- 川島, 真
中央公論掲載のタイトルは「”歴史的”に見る日中歴史問題」である